Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

僕の仕事、あなたの仕事

あまり認めたくないが、最近仕事熱心である。具体的には言わないが。

一方で確実に減少しているものもある。やる気である。

果たして僕の仕事はなんなのか、最近より一層よくわからなくなってきている。

最近は Jenkins とよく戯れている。開発環境を整えようと、 Jenkins2 によりビルドのコード化をなんとか普及させることができないかと思案中だ。

出張で人前で話すこともあった。学生のときを思い出す。人前で発表をするというのは何度やっても緊張する。

データ解析、統計モデリングの実務も行なっている。様々なモデルで同じ学習を試し、精度評価の方法が毎度変わるのに辟易しつつ、なんとかコードに一貫性を保たせながらなんどもなんども似たような実験を繰り返している。

誰それの連絡が遅いので僕が代わりに返信する、社内サービスが重い時に systemctl restart を実行する、トラブルにならないよう相手の1歩先を読みながらコミュニケーションをとる、自分のやったことを記録し、のちにドキュメント化する下準備にしておく。実際にドキュメントにおこす。

僕だけの仕事というわけではないが、全部仕事である。仕事だからやるし、やることに特に異議はない。

以前は他人を動かすためにはどうすればいいか、というふうに考えていた。

最近は、自分が動いた方が圧倒的に早いのでもうそれでいいか、という想いに切り替わった。僕の仕事じゃないが、もうボランティアだ。

あのファイルはどこへいった、あの作業は誰がやった、あのインスタンスは誰が管理していた、などなど。昔はそれを覚える、教えるのは僕の仕事ではないのであそこに書いておいてとか、どこそこに議事録集作っておいたとかいっていた。

今はもう自分が把握していればすぐに教えてしまう。そのほうが、そのときは早いからだ。

思っているよりも人々は仕事が下手で、下手なのが普通で、そしてその下手という自覚も下手なのを解消するためにツールをどう使うか、環境をどう使うかということに真剣に考えを巡らせたことさえもないようだ。

他人を成長させるのは今の僕の仕事ではない、どうせ僕もこんなこと言いつつ誰かに迷惑はかけているし、僕も迷惑はかけられている。持ちつ持たれつ。

そして全体の生産性をあげるのも僕の仕事ではない。問題意識がない人間に何を訴えても無駄なので、なるべく問題にならないように行動し続けるだけ。

だけど、同時にこの会社からいなくなったときにより大きく傾くのはお前じゃなくて僕だと、性格悪い僕が言っている。

そんなことで競う必要なんてないのにね。