Diary over Finite Fields

515ひかるが書き溜めたメモとコラムと雑記

あれはきっと僕のために作られた城

人生で初めて飛行機に乗った。実際には過去に1度だけあるらしいのだが、自分が2歳のころだったので、写真では見たことがあるけれど覚えていない。

当然ひとりで飛行機に乗ったことなんて無かったので、荷物を預けるところから金属探知機を通る、搭乗するまでのすべてが初体験だった。おかげで今日は疲れている。

空を飛んでいる間、ただボーッとそこに浮かんだ積乱雲を見ていた。夕焼けに映えた雲の上から見た雲は信じられないほど美しかった。僕に見せるために誰かが用意してくれたのではないかと思うほどだった。

下を見れば雲の海が広がっていて、水平線を見渡せばいつもより目が痛くなる太陽と、作られた城、山、渦、様々な形をした雲がそこにあった。

思い出してみると、僕は昔から雲が好きだった。

小学生の時から青空にぷかぷかと浮かぶ雲が羨ましかった。積乱雲という言葉を知らず、あれはソフトクリームと呼んでいた。

大学1年生の時、講義と講義の間の100分程度のどうしようもなく暇な時間。僕は大学の中庭でずっと雲を見ていた。受験勉強からはとっくに解放され、慌ただしい新生活や履修制度に翻弄されることもなくなり、ほどよく慣れ始めたころ。久しぶりに毎日雲を眺める余裕が出来たのだと、僕は感慨にふけっていた。

どんなに偉大なる先人たちも、雲を見下ろすことは出来なかった。

僕はただ移動をするため飛行機に乗った。そのついでに雲を見下ろした。現代人にとっては当たり前の景色かもしれない。

だが、仮に望んでいたとしても見られなかった先人たち──それはニュートンでもガウスでもソクラテスでもニーチェでも誰でも──のことを思えば、僕の目の前で繰り広げられている芸術作品は贅沢そのもののように感じられた。

僕がいまこの目で見ているもの、誰のために作られたわけでもない偶然の創造物を、その美しさを僕は目に焼き付けた。これは僕の人生で最もエキセントリックなことの一つだ。

きっと今日の僕は世界一幸福だった。あの雲のショーは僕のために催されたものだったのだから。

空にいる間、僕はただ雲を見ていて写真に撮ることさえ忘れていた。空から僕が持ち帰ったのは、気圧差に敏感な僕の身体がもたらした頭痛だけだった。