Diary over Finite Fields

515ひかるが書き溜めたメモとコラムと雑記

ステータス

年収やら車やら色々を気にする人がいる。

確かに収入は多い方がいいかもしれないし、いい車のほうがいいかもしれない。ただ僕は興味がない。

このブログには何度か書いている気がするが、僕はなるべく「自分の価値観」を信じ、そして「自分の価値観」を疑っている。自分が価値を感じているものに自分は投資をしているだろうか、常に自問自答している。

リソースはお金、時間、体力、そのほかもろもろだ。僕にとっては映画を見ることもひとつの投資だし、ゲームをするのも、数学の勉強をするのも投資だ。そしてそれは自分が「選びたくて選んでいる」わけだし、その判断は自分の価値観から行われている。他者の価値観が介在する余地はない。例え親であろうが神であろうが僕の邪魔をする奴は許さない。

だが、自分の行動を自分で決めるのはなかなか難しい。だから企業による宣伝や他者の価値観に惑わされてしまう。そうならないようにしたい、というのが僕の主張である。

しかし、最近会う人の話を聞いてみるとどうやら人の価値観に踊らされるのが好きな人もいるようだ。

いい車が欲しい、賃貸ではなく持ち家がいい、転職して年収が一千万を超えた、今度海外旅行に行く、などなど。

本当につまらない話だと思いながら聞き流して「へー」と感心したふりをするのだが、あれはどうも他者から羨望されたいようだ。他者であれば誰でもいいのできっと僕にも話すのだろう。そういう話をする人たちは僕が興味がないことにおそらく気づいていないので、今後も話続けるのだろう。

お互いに時間の無駄なのでやめて欲しい。

羨ましくない、というとさすがに嘘になりそうだが、免許は持っていないし、持ち家が欲しいと感じるような年齢ではないし(僕は24歳だ)、他者の年収なんてどうでもいいし、海外には行ったことないので行ってみたいなとは思うがお金があっても実行していないのできっと興味がないのだろう。

僕が羨ましく思うことは、例えば「山崎の蒸溜所に行った」とかそういうことだ。一般的な「ステータス」なんかには僕は興味がない。僕には僕の評価軸があるし、車より家より旅行よりもっと大切なことが僕にはたくさんある。あなたの話は面白いけど、申し訳ないがちっとも共感できない。

この記事はあなたは読んでないだろうけど、その方が幸せだろうから存在は知らせないことにする。