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Diary over Finite Fields

515ひかるが書き溜めたメモとコラムと雑記

都合のいい真実

今はポスト・真実(ポスト・トゥルース)の時代と呼ばれているらしい。事実とは全く異なるデマがはびこり、そうしたデマをもとに活動する人が多く、「真実」とは異なる何かを発信してもついてくる人が居ることを評してそう表現されるのだと思っている。つまり、Twitter などの比較的パブリックな SNS で拡散されるデマ、根拠のないうわさといったものが “真実” よりも民衆へ大きな影響力を与えている時代ということだ*1。またドナルド・トランプのアメリカ大統領就任もそうした層の影響があるとされているんじゃないかと思う。

この時代を生き抜くためにはどうすればいいのだろうか。わたしたちひとりひとりがデマや都合のいい嘘に騙されないように気をつけていかなくてはならないのではないか。そんな話がテレビとかでなされているんだと思う。たぶん。家にテレビがないけど 1 月 2 日くらいにNHK教育テレビをつけていたらそんな話をしていたから。

しかし、少し考えてみて欲しい。果たして、「真実」を我々はそこまで尊んでいただろうか?

真実なんてものは案外全くアテにならない、というのはドナルド・トランプが大統領になるずっと前からわかっていたことじゃないだろうか。ポスト・真実などと呼ばれるずっと前から血液型で性格を測れると信じている人がいる。血液型性格診断は果たして真実なのだろうか。少なくとも科学的な根拠は一切ないが、一部の人の間では信じられているだろう。

企業の広告は欺瞞、偽善だらけだ。そのご立派なスローガン通りに本当に豊かな暮らしを提供したいのであれば、テレビにCMを打つ前に自社の製品を無償ないし原価を割る価格で販売すればいい。何かを売り利益を出すのは慈善でもなんでもなく商売だ。商売をしている会社が商売をしていないフリをすることのどこが立派だろうか。

念の為書いておくが、別に悪いと糾弾したいわけではない、企業とはそういうものだ。僕の生まれる前からずっとそうだった。そう簡単には変わらないだろう。しかし、「企業はそういうものだ」と気づける人間がどれほどいるだろうか、そのように思いながら暮らせる人間のほうが多数派だろうか。僕にはそうは思えない、というだけだ。

結局のところ、「もともと嘘だらけ」の世界だったのがさらに一般人による嘘が増えたというだけなのではないだろうか。その嘘は今はまだ物珍しいけれども、今後 10 年や 20 年すれば「昔の人はこんなしょうもない嘘で騙されてたなんて、すっごーい」と笑い飛ばせる程度のことな気がしている。企業が「お客様へ感謝を込めて」といっても誰も字面通りに受け取らないように、あなたが真実よりも大切に思えたものはいつしか全部嘘にしか見えなくなると思うのだ。

ただ、少しだけこのケースからは外れる場合も考えている。この嘘だらけの社会に生き続けている僕らだが、「自分にとって都合の良いこと」を信じる場合と「自分にとって都合の悪いこと」を信じる場合がある。僕はソフトバンクのお姉さんを信じてしまったわけだけど*2、逆に「そんなうまい話があるわけはない」と断ることもある。これはケースバイケースで真面目に分析する気にはならない。

例えば、原発の稼働に反対する人と、原発に対して過剰な心配はしていない人が居る。そして両派閥の人間が同じ情報を得ても、全く違うように受け取ることがよくある。都合の良い真実しか信じないケースだ。一方、都合の悪い嘘を一瞬で信じこむケースもある。振り込め詐欺とかはその筆頭だろう。「金を出せ」という不都合な嘘を真実と思い込む。

人はみたいものしか見ようとしない。しかし見たくないはずのものを見て信じることもある。その差はなんなのだろうか。もしそれがわかれば、「ポスト・真実なんて結局一部の人間が創りだした幻想」ってことがわかるんじゃないか。

舞台裏

本当は、「当たり前の言葉が届かなくなった」話を書こうと思ったのだが、なぜかこうなってしまった。僕はいつまでも書きたいことを書けない。

*1:そしてそのような “大衆” を見下す自意識過剰な人間のなす層がある、ということだ。

*2:そういえば携帯は警察署に届いたらしいです。解約金払い損だけど戻ってきたのはありがたい。Nexus 6P気に入っていたからね。