Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

守らなければ守れない伝統には価値など感じない

守らなければ守れない伝統がある。伝統があること以外に強調できることがない伝統のことだ。例えば廃業寸前の職人技や伝統工芸品なんかはそのうちのひとつだろう。今は家にテレビはないのだけれど、テレビなんかでよく言うのが「後継ぎがいない」とか「歳でもう目が見えない」など様々な理由で廃業せざるを得なくなる職人。悲しいことだなどとインタビューで買い手が答える報道である。

率直に言えば、その程度の伝統だからだろうと思う。

建設的な話をするのであれば、「どうすれば後継ぎがいないこの状態を避けることができたのか」を議論するべきだ。あるいは、この伝統は消える運命にあることを決定づけたターニングポイントはなんだったのかを探してもいい。

守らなければ守れないもの、放っておくと廃れるものは価値を感じる人が少ないから廃れるのだ。広告は売れないものを売るために作られるのであり*1、守るべきだと報道されるのは守る人がいないからなのだ。

職場の近くにうまい定食屋がある。しかしその定食屋はうまいとよく知られていてお昼休みの時間に行けば絶対に混んでいる。他にも裏通りに変な飲み屋があり、そこではそこで独自の交友関係がある。こうしたことは誰も守ろうとしていないのに、勝手に続いていく。

守るとか守らないとか意識せずとも、人は自分の好きなものには投資をし、人に伝える。人は価値を感じるものには投資をするものなのだ。

伝統を強調することしかできなくなった人は、自分たちの価値を過大評価しているのではないか。人は伝統に金を払うのではない、人々が守りたいものが伝統になるのである。

*1:日清カップヌードルの広告はかなり例外的で僕は好きだ。カップヌードルを広告する必要など今更ないだろうに。