読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Diary over Finite Fields

515ひかるが書き溜めたメモとコラムと雑記

いままで無自覚だったが、最近頭を使っていない

自分で思考・判断する機会が減っている。組織というのはそういうもので、上からの指示を仰ぐことと自分で考えることのバランスをとらないといけない。多くの場合、社会人*11年目の僕には何の権力もないので、自分のことさえも自分で決められないことは往々にしてある。残念ながらそれが実情である。

ただ最も恐ろしいのは、自分がその状態に無自覚に甘えていることである。

自分でやるべきことは本来自分が決めるべきことだ。例えば、いま僕は「洗濯をしないといけない」と思いながらこの文章を書いている。それはこの記事のタイトルを思いついた今書かないといけないと直感し、他の何よりも優先するべきだと判断したからだ。しかし会社員として働くとなると、「今記事書くのと洗濯するのどっちが優先すべきですか」と判断を別の誰かに委ねることができ、自分には責任がない素振りができる。この状態がとてつもなく気楽で、気が楽である。一生出世なんてしたくないと思う。

念の為言っておくが、僕は仕事に関しては別にそれでも良いと思う。仕事というのは「他人に生かされている」環境である。どんな仕事でもお客様(お金を払う側)とサービス側(お金をもらう側)*2があり、その契約が円滑に進むことが最優先にされる。そもそも契約がこじれ、自社にお金が入ってこなければ僕は給料をいただくことができない。僕は会社に、さらにはお客様に生かされているのだ。それが分かっているからこそ、僕個人は駒のように扱われても特に不平不満を表に出すこともなく黙々と作業に集中し、僕にできる範囲で努力をする。それが新米社会人*3のあるべき姿だろう。

誤解のないようにさらに補足するが、僕は責任を取る立場になりたくないわけではない。ただ今の責任を取らなくていい立場に初めてなって、心の底から気が楽だと思っているだけである。大学院生よりも楽かもしれない。

ただ、安住しすぎて日常生活においても一切の思考をしなくなってしまったら、それは問題である。僕は会社に生かされてはいるが、同時に生きているのである。

最近あらゆる場面で判断が鈍い。物事を考える時間は大学(院)生の頃のほうがはるかに長かったし、その時間こそが充実した生きている時間だった。いま僕は生かされている時間が長すぎ、少しずつ生きている時間が減っている。もっと生きている時間の質を高めなければこのまま僕も堕落した社会人*4男性になってしまうだろう。

「金とセックスと食い物の話しかできなくなったら人間として終わり」、そう胸に刻み込んで少しでも自分の意思で生きていきたい。

*1:この言葉は嫌いである。

*2:適切な日本語が思いつかなかった。

*3:くどいようだが、この言葉は嫌いである。

*4:大事なことなので3回目を言うが、この言葉は嫌いである。