Diary over Finite Fields

515ひかるが書き溜めたメモとコラムと雑記

『貧困とセックス』を読んだ

『貧困とセックス』なるタイトルの本を読んだ。この本は中村淳彦氏と鈴木大介氏の対談を文章化したものである。もともと東洋経済ONLINEで一部が公開されていたので内容は一部知っていた。それを思い出して、この前本屋で本編を見つけて購入した次第だ。とりあえず本を買う前にリンク先を読んでみると良いと思う。

さて、僕は書くことを仕事にもしていないし、書くことは趣味でしかない。だが、僕は情報をインプットすると、インプットしたぶんだけ吐き出したくなる。情報を詰め込むというのは僕にとっては大量に酒を飲むようなもので、飲みすぎたら吐くように何かを書いたり、手を動かしたりしないと頭が休まらない。映画や小説を読んだときに感想を書くのはそうした条件反射の現れだろう。

せっかくならばインプットした情報にある程度関係することを書きたいと僕は思っているし、なるべく実践するようにしている。しかし、この本を読む限り、僕が何を書けば良いのかさっぱりわからない。むしろ「お前は来るな」と拒絶されているように思える。

彼らは行政などの専門家では全く無いとは本人たちも発言しているが、長年「現場」を見ていたからこそわかることがあり、彼らにしかできない発言をしている。そしてこうした発言は僕にはできないし批判もできない。それは大手マスコミにおいても同様だろう。

コンテンツにしかできないマスコミ

昨日、「永い言い訳」という映画を見た。この映画の主題は別だが、偶然にも共通する部分があったので紹介する。この作品の中でテレビ屋が人の死に向き合う人々を「演出」して感動を"創り上げる"シーンがある。本人は全くそんなことを望んでいないというのに、人の死、まして主人公とその友人の妻の死を"感動ポルノ"に仕立て上げる。

大手マスコミは人々の同情を誘うこと、可哀想だと報道することしかできない。自分たちは貧困に陥っていない、彼/彼女らは貧困に堕ちて可哀想だと最初から上から目線で報道しコンテンツ化することしかできない。そうした報道を見て一般人も貧困をコンテンツとして消費し、そして「下には下が居る」と優越感に浸る。学者もコメンテーターも知ったような顔をして誰にでも言えることを言う。

反吐が出る。

まえがきにおいて、鈴木大介氏はそうした報道真っ向から否定する。少し引用しよう。

世間の評価も分かれる二人(注: 対談者の鈴木大介氏と中村淳彦氏)だが、僕らには積もり積もった辟易という共通点がある。ここ数年で大手メディアがこぞって発信するようになった「貧困コンテンツ」についてのいらだちだ。

ドロップアウトを経験したことのない優等生的大手メディアの記者や、エロと貧困の現場なんか縁もゆかりもないナントカ先生たちがいきなり現れて、したり顔で浅はかに女性の貧困とセックスワーク界隈の諸問題を語る。

社会の裏側とははるかに遠いところに生きてきた彼らは、取材対象者を自力で見つけることもできず、安直に困窮者の支援サイドからの紹介や、そもそもみずから「苦しい、助けて」と声を出せる困窮者を報道した結果、見逃せない弊害も生まれてきてしまった。

たとえば、貧困とセックスワーカーの世界では、「セックスワークを被害的に感じている当事者、元当事者」の声が主に拾い上げられ、結果としてアンダーグラウンドながら貧困者の互助的なセーフティネットとして機能してきたセックスワークやナイトワークを「加害者として排除し、規制する」流れが加速しつつある。

そもそも、貧困とセックスワークの相関は昨今始まった問題ではなく、それこそあのバブル時代にだって社会の低層でずっと存在し続けてきたものだ。

取材する中で、母親に客を紹介されて未成年のころから売春をしている少女がいた。その母もまた、母に言われて売春をしてきた。平成日本の話だ。少女には、幼くして一家の稼ぎ手としてお金を稼いでいるというプライドがあった。

悲惨な虐待家庭から逃げ出して、東京の街角を補導員に怯えながらさまよい、スカウトに紹介された売春組織で稼ぐことを覚え、客の名義でアパートを借りて、自力で生活している少女。彼女にとって何よりも怖かったのは、その自由が大人によって壊され、彼女の心身をズタズタにするまで虐げ続けた親権者の元に送り返されることだった。

彼女たちは貧困な生い立ちの被害者ではあるが、セックスワーカーであることに被害者感情はなかった。そこに四角四面な法と規範を押しつけることが、なぜ彼女らが戦い抜いてきた人生と人格を否定することだとわからないのか。

セックスワーカーの場所を奪うことが、彼女らの生き方を自分たちの"根拠のない道徳"をもって否定することが、果たして彼女らの幸福につながるのか。

感想

正直に言うと、僕はこの本を読んでいて吐き気がする思いだった。こんな現状を知ろうともしない自分に、本当に救済しなければならない人を救えない行政に、安易な"道徳"を盲信する人々に、このような現状を読みながらも結局それらを"コンテンツ"としてしか認識できない想像力の欠如した人々に(そしてそれは自分かもしれないことに)。

とても勧められた本じゃない。特に教育に関するところはクエスチョンマークを浮かべる部分もある。だが、こうした人たちにそこまで悲観されているのだという事実は甘んじて受け入れなければならないだろう。

本当に将来に必要になるかどうかもわからない教育を受けて、履歴書に書く「○○大学卒業」という1行を買うために、18歳の子に数百万円の借金を押しつける。「日本で最悪の組織的詐欺は大学だ」。これはそこそこの大学に通っていながら振り込め詐欺をやっていた子の言葉です。僕は反論できませんでした。教育がここまでビジネス化されていることに、何で誰も文句を言ってこなかったんだろう。

今最も日本を悲観した本だと思う。直視できなくとも、何も知らないよりはいいかと思って読んで欲しい。これはコンテンツでもドキュメンタリーでもない、比較的貧困に寄り添って書かれている本だと思う。

貧困とセックス (イースト新書)

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