Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

山本圭壱氏の復帰のめちゃイケを見て思ったこと。

hikaru515.hatenablog.com

こんな記事を書いたあとで言うのもなとは思ったが、しかし書きたくなったので書く。結論だけ書くと、僕は楽しかったという話です。

めちゃイケで山本圭壱氏がテレビ復帰した件

件の「めちゃイケ」のスペシャルを見た。少し 10 年前を思い出す。「当時の人気キャラクターだった油谷さん」として登場し岡村と暴れて去った後ろ姿を最後に十年間*1、「めちゃイケ」はおろか一切テレビ番組に出ることはなかった*2山本圭壱氏だったけれど、テレビを通してとはいえ、その姿を久しぶりに見た。

10 年前、僕は中学校一年生だった。まだ大人でも子供でもないような人間が、若いなりにいっちょ前に大人のフリをするようになるほどの時間が経った。10 年間、もう子供は知らない。大人も忘れていてもおかしくない、それほどに長い時間が経った。僕も思い出すのに時間がかかった。

僕が好きだった「めちゃイケ」

自分も「仲間」という感覚

このめちゃイケスペシャルの 2 時間半、僕が好きだったテレビを少し見れた気がした。

このスペシャルは内輪ネタだったかもしれないが、昔は僕でさえ内輪の仲間だったのだ。少なくともそういう意識で僕は見ていた。芸能界に自分は居ないし、行く気もないし、このブログでさえ有名になってほしくないと思っているような僕でさえも、なんとなく演者のナインティナイン、オアシズ、よゐこ、極楽とんぼ、鈴木紗理奈、雛形あきこ、武田真司の仲間のつもりでいた。彼らの番組を見ることは彼らとの時間を共有することで、見れば見るほど番組が面白いと感じられるようになっていった。

僕が 1 番テレビが好きだった 10 年前。テレビの前では誰も触れられない過去の話を 2 時間半、けじめをつけるためにやっていた。10 年前のめちゃイケを思い起こしながら、10 年前とは違う僕がテレビの前に座って見ていて、そこには 10 年前とは違うめちゃイケメンバーがテレビに映し出されていた。

正直に言おう、途中から涙が止まらなかった。

僕はこういうめちゃイケが好きだ、いや好きだった。嫌う人やあまり楽しめない人も居るだろうが、10 年前の僕はこういうバラエティ番組を見て育ち、こういうもので楽しんだり感動して過ごしたのだ。いつの時代だよと言いたくなるほどの異常に強い連帯意識、ひとつのテレビ番組にかける暑苦しいほどの想い。その想いの強さからか、カメラの前で叫ぶ加藤浩二、殴ると言ってはばからない岡村隆史。10 年前、 15 年前だったら当たり前だった「めちゃイケ」がそこにはあった。*3

そしてこのめちゃイケスペシャルを見ているうちに、あまりの迫力に僕はめちゃイケを見ながら 10 年前にタイムスリップしていた。普段なら「人の欠点を公共の電波を使ってなじって恥ずかしくないのか」と思う僕が、本気で山本圭壱氏のダメ出しをする加藤浩二の姿涙し、極楽とんぼふたりの土下座に涙していた。終わるころにはセメントに顔を突っ込む極楽とんぼを見てゲラゲラ笑っていた。今の僕が冷静な状態で見たら「危ないなぁ」などと普通のことを言うだろう。しかし、あのテレビ番組の中には僕が好きだっためちゃイケが詰まっていた。僕が見たい「めちゃめちゃイケてる! ~ What a cool we are! ~」が見られた。そして何よりそれを楽しめた自分が居た。

むしろ過去の話だったから楽しめた。

今の僕はきっと「めちゃイケ」はもう好きじゃない。それは事実だ。実際先の記事で酷評している。でもこの回のめちゃイケはすごく楽しかった。それは「めちゃイケ」側の問題じゃなくて、この番組を好きだった 10 年前の僕が見ていたから、 10 年前の僕を思い出させる番組だったから。そしてもう演者と時間を共有できなくなってしまっている僕でも今回のスペシャルが楽しめたのは、10 年前の山本圭壱を演者と同じように僕も共有していたから。

だからこのスペシャルはきっと子供には面白くないし、山本圭壱や過去の「めちゃイケを」を知らない人間には絶対面白くない。それは内輪じゃないから。僕も 10 年のブランクで思い出すのに時間がかかったけれど、僕は 10 年前は内輪の人間だった。彼らの仲間だった。

心の底から、感動してかつ笑えたのは久しぶりだった。楽しい時間をありがとう、めちゃイケ。

*1:僕はその瞬間を見ていたように思う。というか、当時めちゃイケは毎週見ていたのでそもそも見逃しているはずがない。

*2:僕が知る限り。

*3:いまではハリセンで叩くことさえできない空気がある。