Diary over Finite Fields

515ひかるが書き溜めたメモとコラムと雑記

勉強をし続けるということ

Twitterスマートフォンから使えないようにしてみたら、思いの外タイムラインを見る時間が減って驚きました。

こんにちは、515ひかるです。最近は意味もなく朝8時に予約投稿をしています。

ちょっと余裕がないのでズートピアは来週に見に行こうと思ってる方の人類です。

以下の記事について注意

以下の文書はポエムであり、特定の人物を想定した文章ではありません。また、私の本意の部分とそうでもない部分があります。あまり真剣に捉えないでください、でも読むなら読み飛ばさないでください。

勉強をし続けるということ

ふと考えてみたのだけど、勉強をし続けるということって実は(その内容が身につくかどうかは別にしても)難しいことなのではないかと思う。よくよく考えてみると、ゴールが見えない状況、不安定な状況に置かれていて、それを楽しむことができるのはなかなか稀有な存在ではないかと思う事があった。

多くの人にとって、数学に限らず専門の勉強や研究は結果もなかなか伴わず、将来への漠然とした不安や本当にこれでいいのかといった猜疑心が鎌首をもたげてくるものであると推察する。*1こうした状況に耐えられない、安定した生活*2がしたいと感じる人はおそらく少なくないどころか多数派なのではないかと、最近また少しずつ実感し始めた。

ゴールは誰からも与えられないが、自分がゴールを決めて満足するまでやる、とことんやるということができるかどうか。そうした努力を自分のためにやり続けられるかどうか。これは一見そうとは捉えにくいが、実は安定や平穏、安らぎから見れば全くの正反対で、常に自分を変え続ける、進化し続ける、成長するための努力をし続ける地味な、しかし苦痛を伴う毎日である。

数学を勉強し続けるということ

以後、話を数学に限ろう。

数学は美しいとか浪漫があるとか、憧れを持たれやすいものというのは分からぬではない。私も高校時代にNHKスペシャルみたいなものでポアンカレ予想の話を見て「なんかよくわかんないけどスゲーッ」などと思った遠い記憶がある。別にそういう啓蒙番組や一般向けのものが悪いとは微塵にも思わないし、むしろそうした機会がなかったら私は数学を専門に勉強することもなかっただろうから、それはそれでいい。

しかし、*3大学の数学の勉強の仕方と高校の数学の勉強の仕方は根本的に異なり、かつそうした派手な部分、浪漫の部分にたどり着くまでの基礎固めが非常に長いことは知っておいてほしい。そして、その基礎がための部分にどれほど時間を割いてきたかで、大学院生としてやっていけるのかどうかが決まるといっても、過言ではないと今の私には思えるのだ。

この基礎を固めるというのはものすごく難しい。どういう人間が基礎をわかっている人間なのかは簡単には説明できない。

何に浪漫を感じても自由だ。何をしたくて数学を始めても自由だ。もちろん、挫折して辞めるのもまた自由なのだが。

もしも、「僕の思っていた数学とは違う」といま思っているなら、一度自分がきちんと数学をしたいのかを真剣に考え直したほうがいい。

*1:僕は数学の研究はほとんどしたことがないので、このまま数学を続けてもいいことはないから数学をやめるべきなのだろうと考え始めている。

*2:数学科の人間かどうかによらず、これを望んでる人と友達になれた試しがない。

*3:今まではこういうことを明言することは避けてたのだけど、以後の主張をするには述べないといけない気がするので述べる。しかし本当はこういうことはあまりインターネット上に書きたくないし、誤解もされたくない。