Diary over Finite Fields

515ひかるの日記と雑文

こんなんでいいんかい。

人類は知を積み重ねすぎたと思うこともあるし、人類はまだこんなことも知らないのかと思うこともある。

少なくとも一人の人間がひとつの専門分野を研究するだけの人生が成立する*1程度には人類の叡智(要出典)は深くなったし、だがそれとは反対にまだまだ日常の範囲内で分かっていないことがたくさんある。

それは数学に限らない。教育の場、心理学の場、政治の場、経済の場などでも同様だ。

それとは似てるけど違った話で、学問は理想論で役に立たないという意見がある。数学なんてやっても意味がないという意見もある。ある面ではそうだろう。政治学を知らなくても政治家になれるだろうし、経済学を知らなくても経済活動はできる。数学を知らなくても自分が買いたいものの合計の値段と自分の財布の中に入ってるお金の量は比較できるしそれで困らない。私は人生で一度も2次方程式の解の公式を使わなかったからとエライ人が言ったので教科書から2次方程式の解の公式が消えたらしい。まぁエライ人でも2次方程式の解の公式がなくても困らないのだからやはり困らないのだろう。

いや、そんな感じでいいのだろうか。

漠然とした不安であるが、知に対する無尊敬、無理解をこのまま無視し続けていいのだろうか。

例えば先日、大きな地震が起きた。地震の原因が何かそもそもあまり分かってないことは知られているのだろうか。人類がプレートテクトニクスを認めだしたのは戦後で、まだ100年も経ってないことを知ってるのは日本人の何割だろう。
人類はまだ知らないことさえ、私たちは知らないのか。

例えば今、水素水が売れている。この類のものは定期的に流行る。しかし水素は水に溶けないと高校で習わなかっただろうか。
確かに学校では理想論しか習わないかもしれない。しかし理想論はとても使えるものなのだ。自分の身を守る上でも。

こんな感じの世の中でいいのだろうか。
上の世代の人たちから引き継いだ知が、今や常識となっている高校レベルの知が、ないがしろにされている世の中で本当にいいのだろうかとなんとなく考えている。

そんなGW中日。

*1:並以上の才能と並以上の努力が必要なのは言うまでもない。