読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Diary over Finite Fields

515ひかるが書き溜めたメモとコラムと雑記

素晴らしき日曜日に鑑賞する「素晴らしき日曜日」

映画の感想である.

どうでもいいが, キーボードを接続するのが面倒で組み込みのキーボードで記事を書こうとしたら最初のエンターを外して心が折れた.

僕の黒澤映画歴

黒澤明監督作品を見るのはこれが 3 作目である. 僕が黒澤明監督が好きなのかと問われると別にそうでもない. 興味はあるが, 全部コンプリートしたいと思っているわけでもないし, 思い入れがあるわけでもない.

七人の侍

初めてみたのは, 「七人の侍」 だったか. これは実は (存外少なくはないのではないかと思うのだけれど) 滝本哲史先生の 『君に友だちはいらない』 で紹介されていたのでみた. 正直なところ, この本で言われるほど面白くなかったというのが個人的な感想である*1.

君に友だちはいらない

君に友だちはいらない

生きる

そしてなんとなく次に, 「生きる」 を見た. 見ようと思ったきっかけは覚えていないが, これは素晴らしい映画であった*2. 感想の一部は, 過去の記事に残っているので一応引用しておく*3.

hikaru515.hatenablog.com

じんわりと, 生きるということについて考えさせられるいい映画である. 僕は大好きだ.

生きる[東宝DVD名作セレクション]

生きる[東宝DVD名作セレクション]

素晴らしき日曜日

日付が変わって今は月曜日だが, この映画は実は昨日の日曜日に見た. 一応言っておくが意図したわけではなく偶然である.

この映画は確実に前の 2 つと比較してしまえば有名な作品ではないのだろう*4. しかし当時の映画にしてはかなりの意欲作であったに違いない. といっても, 公開されたのはなんと 1947 年 7 月 1 日*5で, サンフランシスコ講和条約さえ結んでいない. そんな時代でここまで描けるのはきっと革命的なことだったのだろうと推察する. なお, 当然モノクロである.

あらすじ

戦争の痕跡も残る東京. 雄造と昌子は恋人どうしで, 毎週日曜日はデートをする習慣であった. しかし二人は金に困っていて, 所持金は 35 円*6 しかない. ふたりはみじめな思いを抱えつつ日曜日の街に繰り出すが, 踏んだり蹴ったり. しかし, ふたりは貧乏なりに未来に希望を, 夢を見出していく.

感想

ありふれた日常

実にありふれている. この映画では異常なことはひとつも起きない. ただの日曜日のカップルのデートである.

雄造は待ち合わせの時に, 吸いかけでポイ捨てされていた煙草を拾っているときに昌子に声をかけられてバツの悪そうな顔をするなど, 映画開始早々ダメ男である. デート中も, 「金がないからみじめだ」, あるいは 「現実を見ろ」, 「夢では腹は膨れない」 といったことをぼやく. 昌子はそれでも文句を言わず健気についていく. そんなシーンが延々と続く. まぁ正直なんと退屈なのだと僕は思っていた.

下宿のシーン

雨に降られたりして, ふたりは雄造の下宿に来る. このシーンが魅力的だ. まず, わざと冗長に描かれている. 雨漏りに気づき水受けを探し配置する昌子, 座布団を用意し横になるまでの雄造, 寝られなくてウロウロしていると, 昌子のキーホルダーが目に入りじっと見つめる雄造……こうした無言の演技が実に魅力的だ.
最近の映画を見ていると思うのだが, "無音" や "間" があまりない, あるいは効果的ではない. 確かにラジオのような媒体であれば長時間の無音は放送事故であるが, 映画は映像作品である. なのになぜ無音を極端に嫌うのだろう*7.
このシーンだけで, これはいい映画だと思える. そして二人は雨上がりの街に繰り出す.

未来への希望と不安

雄造と昌子の夢は喫茶店を営むことで, 戦争で焼けたがれきの中でふたりは喫茶店ごっこをする. このシーンは二人は本当に笑顔で, 本当に幸せそう.
次いで, ふたりはコンサート会場 (日比谷野外音楽堂らしい) で, 指揮者は雄造, オーケストラは透明人間で演奏をする.

まぁこのシーンについてはご覧になっていただきたい. 文章で再現できることではない. 私はこれを見て, 実験的な映画だったと思ったとは述べておくが, それ以上はコメントしたくない.

不安に打ち勝ち, 希望を見出したふたりは駅で「また来週」と言って別れる. そのあと, 雄造はホームで吸いかけの煙草を見つけたが, 彼は笑顔で踏みつぶした. もう必要ないのだろう.

総評

1947 年の映画を 2015 年に鑑賞して実験的もへったくれもないのだが, しかしこの映画は古典的な作品として価値がある. いうなればアガサ・クリスティの『アクロイド殺害事件』のような価値はあると思う. 読んだことないとこの比喩わかんない?
アニメで言えば, 涼宮ハルヒの憂鬱のような価値があるし, 整数論でいえば初等整数論のような価値があり, 表現論で言えば有限群の表現のような価値があります. つまり, 黎明期の結果のようなものがこの映画なのではないかと. 想像ですが.

僕は嫌いじゃない, むしろ好き. もっと無言で語れる映画が増えればいいなと思う.

*1:実際このブログに感想を記述した記憶がない.

*2:この映画の感想は確実にこのブログに投稿したことがあるのだけれど, おそらく色々過去に考えたことをすべて忘れたくなった時に消してしまったのだと思う. 今思うと惜しいことをした. もう一度同じ内容の記事を書ける気がしない.

*3:この記事はこのブログ管理人が最も気に入っている記事である. 正直言って注目記事ランキングは常にこれが 1 位であってほしいと願っている.

*4:おそらく, 前 2 つが有名過ぎると表現したほうが正しい.

*5:Wikipedia より. ちなみに Wikipedia にこの映画の内容がすべて書いてあるので読む際には注意が必要である.

*6:当時の額にしても少ないと思われる. なお作中でコーヒーが一杯 5 円, ミルクコーヒーが 1 杯 10 円というシーンがある. ちなみにこれまた Wikipedia より, 現在の貨幣価値に換算すると、約3,500円 とのこと.

*7:特に根拠はないが, テレビ屋が映画を作るとそうなる印象がある.