Diary over Finite Fields

515ひかるが書き溜めたメモとコラムと雑記

ノートをとる話

515 ひかるです.
勉強の話題を出すとすぐに数学の話になってしまうのだが, 今回は自分の高校時代とかも思い出して数学以外にの話にもつなげられるようにしたい(願望).

この記事は, 別に受験の話でも何でもなく, 他人の話を聞く際にあなたはノートをとりますか ? という話である. 他人の話を聞く際にはノートをとりながら聞く人と, 聞くことに集中する人の 2 タイプにまず大別されると思う. 別にどちらがいい/悪いという話はする気がない. 本人が頭に残りやすい方法を選べば良いと思う.
ただ, たまにやけに他人のノートのとりかたとかを気にしたりする人が居る. 昔の自分もそうだったのであまり他人のこと言えないのだが, はっきり言ってそんなことを気にする暇があれば勉強してください, と思う. ノートをとることは勉強することではない.
とまぁ突き放すのは簡単なのだが, これで突き放しても何も伝えられていないので, 少しきちんと考えてみることにした. ノートをとるメリット(デメリット)について. 'ノート' というものの扱いついて少し考察をしたい. 今回は紙とペンで記録することについて主として言及する.

授業中ノートをとらないメリットとデメリット

まず授業中にノートをとらないことについて考えてみよう. ノートを取らないということは教員の話をよく聞いて, かつよく見るということになる. この見るというメリットはあまり触れられていないことが多い気がするので, 具体的に僕が高校時代に実践していたことをいくつか紹介しよう.

  1. 教員の計算の方法. 計算過程に限らず, たとえば合成関数の {f\circ g} を「{g} して {f} する」 と言いながら右から書いていることなどは真似をした(未だに右から書くこともある).
  2. 図の書き方. 完成した図を見ただけではその図が何をポイントにして書かれたものかわからないことはよくある.
  3. 化学の構造式の書き方. グルコースなどの複雑なものは教員の書き方を目で見てチョークの音とリズムで覚えた.

などである. 高校時代はあまりノートをとらない生徒だった(正確にはノートをとる授業ととらない授業をわけていた)ので, こうして視覚情報から様々なことを学んだ. これらのことはノートをとるために下を向いていると得られない情報であることが多く, ノートをとらないことのメリットとして掲出できるだろう.
ただし, これらのことは黒板とチョークで授業 (講義) をしている前提の話であって, 昨今増えているスライドを使った講義などでは教員を見ていても情報はほとんど増えない. 多くの場合スライドは講義資料として配布される*1ので, 教員から得られる視覚的情報は大学生になると減る感じがする*2.
デメリットは明らかであるが, 自分の記憶しか頼りになるものがない, つまり早い段階で復習をするなどして記憶をしないと身につかないことにある.

授業中にノートをとるメリットとデメリット

昨日散文として書いたことにも通ずるものがあるが, ノートをとるということは '自分の' 思考過程を記録するためには大変有用であると思う. あるいは教員が黒板に書いたことに加え, 口頭での説明などを書き加える, あるいは記録したあとに追加で情報を書き加える, 付箋などに貼って加えるなど物理的に融通が利きやすい. これは紙とペンを用いる最大のメリットである. つまり, 授業中に教員の話をまとめつつ自分の思考をまとめ, 復習の際にそれに追加情報を加え修正を繰り返していくのが最も勉強になるノートのとり方であると思う.
デメリットは教員を見ていることによって得られる情報が圧倒的に減少する点である. しかし, これがクリティカルなデメリットになることは (多くの人とって) あまりないかもしれない.

筆者はどうしているか

あくまでも経験則でしかないと断っておく. 僕は高校生の時は前述のようにあまりノートをとらなかったが, 大学生になって以来ちゃんと受講している講義のノートはとるようにしている. 理由はいくつかある.

  • 講義の間隔が 1 週間ある.

高校時代はどんな授業も週に 2 回はあったので, どれだけ間が空いても中 3 日だった. ところが, ほとんどの大学ではひとつの講義は週に 1 回である. つまり中 7 日である. 視覚から学ぶのは前述のように復習が必須なわけだが, その復習の役割は実は高校の授業が賄っていてくれていた. 大学の講義も先週何をしたのかを少しくらい語る場面はあるが, それでは復習には足りなかった.

  • 視覚情報が増えなかった

スライド講義が多く, 高校のときほどノートをとらないメリットがなかった. ついでに資料ももらえたし行く理由も失った講義も多々ある.

  • 長期休暇中に講義内容を思い出したい

テストが終わって全部忘れてしまうと来期困るわけなので, 忘れても思い出せるようノートという形で残しておいたほうが長期休暇中でも見直すことができてよい.

こういったことが目的で僕はノートをとっていたのだが, 最近気づいたことがひとつある. 僕らはノートをとることで, 自分用のテキストを作る機会を与えられているのではないか, という発想である. 大学の先生が大学で自分の専門について話されるとき, それはひとつのテキストにのっとって行われないことも多い. あえて強調すれば, 世界には存在しないテキストにもとづいた講義を, 我々学生は聞いているわけである(こう考えるとちょっとすごい). したがって, その先生の講義のノートをとっていくと, それがひとつのテキストになる. それは非売品である. しかもその先生の口頭での説明や自分がそのとき考えたことまで完璧に記録されているノートになれば, それは自分用に最適化がなされたテキストになっている. それは (少なくともあなたにとっては) ものすごく価値がある 1 冊になっているはずである.

どちらがいいとか決められるわけがないだろう

僕が授業中にノートを取る派であるように感じられたかもしれないが, 僕はよくものをなくすし講義に遅刻も欠席もよくするので, 曲がりなりにも完成した講義ノートは実は大学の 3 年半で 3 つしかない. その 3 つもひとつは廃棄し, ひとつはどこか散り散りになってしまって, 手元には現在 1 冊しか残っていない*3. 自主セミナーでも発表する側のときはノートをつくるが, 聞きながらノートをとることはほとんどない.
端的に言おう, どっちもどっちである. つまり, どちらがいいも悪いもなく, 自分がその時ノート取るべきだと思ったら取るべきだし, とらなくてもいいと思ったらとらなくていいのであり, それだけの話である. どちらを選んだところであなたの人生の大勢に影響はないので安心して好きな方を選べばいい. ただ, 個人的にはもしあなたが大学生であるならば, ノートをとることを勧める. 何もしないよりはテスト対策にかける時間が減ると思う.

さっと書き上げるつもりがなぜか 3,000 字を超えている. なぜだ…リンクも何もないのになぜこんなに文字数が増えたんだ…

*1:教員が親切であればたいていもらえる.

*2:スライドを用いた講義には個人的には反対である. 学生も教員も楽だが, 本当の教養は楽をして得られるものではないと思うからだ. しかし, 時代の流れには抗えまい.

*3:また失くさないように {\LaTeX} 化を試みている