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Diary over Finite Fields

515ひかるが書き溜めたメモとコラムと雑記

書きながら考える, 考えながら書く

つくづく思うのだが, ありとあらゆる '書き', 'まとめる' 手段がある現代 ―― それがここみたいにブログであったり, 人によっては Twitter であったり PDF であったりする ―― においても, 考えながら書く, 書きながら考えるのに適したツールは未だに紙とペンしかないように思う. 最近やたらと {\LaTeX} 文書を書いているのだが, 考えながら書くと失敗しかしないことがわかる.
最近はパソコンのそばに無印良品の落書き帳をおいておいて, 考えながら書くときはそっちに書き, まとめてからキーボードで入力しなおしている. 二度手間のように思えるが, おそらく結果論的にはそっちのほうが早い.

中には考えながら正確に表現できる人も居るのであろうが, 本来なら何らかの形で訓練を積まないとできないことのように思う. 自分の頭で考えて理解したことと, それを正確に表現することは本質的に違う操作であるからだと思う. 大抵の場合, このふたつを同じようなことだと思っているため初心者は失敗することが多いのだと思う.
ところで僕の場合, このブログは実は書くことを決めないで考えていることも多々ある. 要するにカテゴリー "ポエム" に分類している記事はほぼ全てそうだし(なんならこの記事もである), 映画の感想も小説の感想もブログの管理画面を開いてから内容を考える. 単純に面倒くさいのと, 別にこのブログで稼いでいるわけではないのでその程度のずさんさは許容範囲だろうと考えている節はある. さすがに数学の記事はそうもいかないのでちゃんと書く内容は考えているし, ゴールもある程度はっきりさせてから記事にするが, それ以外はてきとうである. つまり, 書きながら考えた場合たいていの場合は散文にしかならないのは僕がこのブログでも実証している.

他の面を考えると, 考えながら書くとすなわち考えたことをすべて表現することになる. これは正直言って無駄が多いことのほうが圧倒的に多い. たとえば, 数学の本を読んでいても, もしも正確に書くのであれば 「{A \Rightarrow B \Rightarrow C \Rightarrow D}」 と表現しなければならない部分を, 「{A \Rightarrow D}」 と表現していることがかなり多い. 人はそういうものをいわゆる '行間' と呼ぶのだが, 自分で書面に起こしてみると「{A \Rightarrow B \Rightarrow C \Rightarrow D}」と書いてみたほうがかえってわかりづらくなる. それに自分が理解した道筋が他人にとってもまた理解しやすいとは限らない. 理解の道筋を読者に委ねるのは教育者, あるいは筆者としては正しい態度なのではないかと思う. それはもちろん比較的向上心のある読者に向けて書いているという意思表示でもあるのだろうが.

何がいいたいのかよくわからなくなってきたが, これもまた考えながら書いているからである. 相変わらずゴールがない記事を書きまくっているのはよくないことなので, 今日はこの手抜き更新を早めに切り上げてお茶を濁すことにする.