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Diary over Finite Fields

515ひかるが書き溜めたメモとコラムと雑記

缶コーヒー

高校生くらいまでは缶コーヒーをしょっちゅう飲んでいた。大学生くらいになるときに飲むのをやめた。

会社員になって驚いたことのひとつは、みなみなさんが缶コーヒーを飲んでいたことだ。缶コーヒーはマズイしそもそもコーヒーっぽい何かであってコーヒーではないし、などなどいろんなことを働き始めた当初は思ったものだ。今は特に何も思わず、「そういうものらしい」程度に済ませている。

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ものを買う

会社員になってからというもの、あまりものを買うことに抵抗がなくなった。

お金は貯めたほうが良いのかもしれないが、貯めたいと思ったことは今のところない。例えば結婚をしたくなったり、10万円では足らないものを書いたくなったときにはある程度は貯めようと努力するだろうけれど、とりあえず今の所買いたいものはない。

パソコンも不満はとりあえずないし、結婚どころか交際相手さえいない。旅行には行く気がさらさらない。

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芸術について

僕にも表現をしたいことはたくさんあったはずだが、結局芸術にはあまり向かわなかったように思う。楽器もできるものはないし、絵も描かない、写真も動画も撮らない。映画は観るけどiPhoneで30秒の動画を撮ったことさえもない。

ブログに小説を書いてみたこともある*1が、あまり物語を作ることに興味があるわけではないということがわかった。こうして思いついたことを思いついたままに書き連ねるほうが僕は好きだ。

何も表現をしないというのは、自分が自分であることを主張しないようなものだ。別に自分が大好きなわけでもないが、映画でも、小説でも、いいものに触れた時その時の自分が感じたことを表現する。それはずっとお手軽な自己表現だ。

ものを作っても良い。役に立つか立たないかは別にして、ものを作ることも結構健康に良い。そういえば僕はプログラマなので、ソフトウェアというものを作るのが仕事のはずだ。あまり意識していないけれど。

*1:面白くはないものでかつ文学的な価値のないものしか書けないが。

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学習の習慣

習慣

かつては僕も学生だった。勤勉だったかはともかく、どんな日であっても 1 日に 5 分は机に向かったものだ。それが短すぎると言われるかもしれないが、日曜だろうがお盆だろうが正月だろうがなんだろうが 5 分は机に向かっていたという意味である。その意味では学生時代には休みなんてなかったのだ。

仕事は長い時間を取られているようで休みの日や休憩時間というものが存在する。その時間は仕事のことを考える必要がないし、考えないのもひとつの仕事である。リフレッシュは仕事の大切な要素のひとつだというのはこのブログでも繰り返し形を変えて書き続けている。

比喩ではなく毎日勉強をしていた僕も、休学を境に一秒も机に向かわなくなり、今に至る。今日久しぶりに数学書を開いてみたが、とても簡単そうな問題が全く解けない、面白いほど解けない。笑ってしまった。

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通勤しながら思う

機械っぽい人

そのシーンはどちらかというと何でもないシーンなのだが、妙に印象に残っているシーンがある。東野圭吾の『容疑者Xの献身』で、ホームレスを見ながら草薙が「彼らは時計のように正確に生きている」と呟く。そしてそれに石神が「人間は時計から解放されるとかえってそうなる」と返すのだ。いま手元に本がないので正確なことはわからないが、だいたいこんなようなセリフがある。

人間は思っているよりもずっと規則正しい生活をしている。同じ時間に出勤しようとすると、同じ車が同じ場所で信号待ちをしていたり、同じ人とすれ違ったりする。

僕も規則正しく生活をしていたことがある。高校生の頃だ。いつも同じ電車に乗っていた。そしていつも同じ電車に乗る自分を不自然で窮屈なものだと感じていた。今では毎朝同じ時間に起きることさえできやしなくなった。

僕には時計のように正確には生きることは難しいようだ。

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今日もまた惰性で生きている

思い出したくないことを思い出してしまう日もある。

そんなときはきっと、思うがままに自分の心の中のわだかまりをそのまま出して、出して、そして明日また忘れられるまでいればいいのだと思う。

ていうか、それしかできない。

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