読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Diary over Finite Fields

515ひかるが書き溜めたメモとコラムと雑記

何もしない日

コラム

お知らせ

今日もまた当たり前のことを書いていこうと思うが、その前に少しだけお知らせを書く。

はてなブログ Pro に再登録した。今回は 2 年間だ。2 年後もブログやっているかは知らないが、深くは考えずに登録をした。広告とキーワードリンク、フッタ−の非表示くらいしかしていないが。

インターネットは商業的になりすぎた。今目につくブログのほとんどは基本的にお金稼ぎのためにやっているブログが多い。かつてはコミュニティベースで純粋に好きだからという気持ちで提供されていたコンテンツが、広告収入や PV 数を稼ぐための個人が書いている。それも全然違う人が書いているはずなのに、似たような見た目で、似たような文体で、似たようなテンションで。

それが悪いというわけではない。そういう時代なのだろう。おかげでとても画一的でつまらなくなったのは否めないが、かくいう僕も結構面白いゲームを探したり必要なアプリを探するのに活用していたりするし。

このブログはそんな文化に抵抗するためにやっているわけでは全く無い。かつて高校時代くらいまでに僕が見ていたインターネットが今更栄華を取り戻すとは思えないし、仮に戻ったところでかつてのようには楽しめないだろう。

僕がこのブログを書いているのは、僕にとっては居心地のいい空間をつくりたいだけだ。自分が作るページくらい、お金の匂いがせず、書きたいことを書き、面白かったものを面白いといい、くだらないことも真面目なことも書いていく。「管理人」の手で。そんな僕が僕であった証を残すための空間にしたいだけだ。

だから、僕はそのために僕がお金を払うことはあれど、このページを見てくださるみなさんにお金を払わせるようなこと、広告を見せるようなことは早くやめたいと思っていた。目的をより安価に達成することを思えば、静的サイトジェネレータなどに移行するべきだったかもしれないし実際に考えたが、僕がはてなにお金を払ったほうが色々な点で楽そうだったのでそうした。それにこのブログは移行するには少し過去記事が多すぎるのだ(290記事ほどあるはずだ)。

そんなわけで、今後ともこのブログと「管理人」 515ひかるをよろしくお願いします。

続きを読む

ブログ記事を書くのにSpacemacsを使い始めた件

エディタ

久しぶりのエディタ記事。

Abstract

Emacs というエディタがあって、という話はどこかで誰かが何度もしていると思うので今更しない。今回紹介するのは Emacs をベースにした Spacemacs である。

内容としては、試しに Spacemacs で Org mode を使ってブログ記事を書いてみたらかなり気に入ったという話になる。技術的な話は一切しないので、もし Spacemacs についてわからないことがあって調べてこの記事にたどり着いたのであれば、あなたの求める情報はここにはないのでブラウザの戻るを押していただきたい。わかっていないことを発信するということは無責任なことになりかねないので。

続きを読む

やりたいことを仕事にする必要はない

コラム

おそらく本人も善意で言っているのだろうけど、「やりたいことを仕事にしよう」という言葉を聞いたことがある。それを聞いたのは昨年の 4 月頃にさして興味はなかったが就職活動関連の話を聞きにいったときだ。その際に、言われたのが次のような言葉であった。

働くことに対してマイナスのイメージを持っている学生がどうしても多いんだけど、働くことをマイナスにするのもプラスにするのも実は自分次第なんだよ。

どうせ生きていくために働かないといけないのだから、なるべく楽しく働けるようにするべきだし、そのために今自分から動いていくのが就活。やりたいことを仕事にするために今努力しよう。

なるほど、今読み返してみても甘い文句である。

謎の運に恵まれ、僕は結局まともに就活を一切せずに会社に就職することができた。そして、やりたくないとは思わないことを仕事にしている。いや、遊びが仕事になってしまった、と思っている。これはおそらく客観的に見れば比較的幸福なことだろう。関係者各位には中の人は本当に感謝しているが、それとこの記事に書くこととは別の話である。

続きを読む

人から必要とされたい思ってる人は必要とされない

コラム

会ったことがないだろうか、「他人に必要とされたいんだ」と言っている人に。その言葉が何よりも彼らが必要とされない理由だと思う。

多くの場合、人は他人のためよりも自分のためのほうが頑張れるものだ。「俺は仕事で人のために一生懸命やってるぞ」とか思った人は、そもそも仕事でやっているのならお金という形であなたに還元されているので、すべて人のためとは断言できないだろう。

一方で他人のためにしかできないタイプのこともある。例えば、自分のためのツールを作るのなら僕は Web 化したりしない(自分が使う分にはコンソールで使えれば十分だからである)。自分のためにものを作ったり、努力をしたりする場合と他人のために行う場合は異なるベクトルで努力をする。僕の場合は全力を投じるのは自分のためのときということだ。

続きを読む

都合のいい真実

コラム

今はポスト・真実(ポスト・トゥルース)の時代と呼ばれているらしい。事実とは全く異なるデマがはびこり、そうしたデマをもとに活動する人が多く、「真実」とは異なる何かを発信してもついてくる人が居ることを評してそう表現されるのだと思っている。つまり、Twitter などの比較的パブリックな SNS で拡散されるデマ、根拠のないうわさといったものが “真実” よりも民衆へ大きな影響力を与えている時代ということだ*1。またドナルド・トランプのアメリカ大統領就任もそうした層の影響があるとされているんじゃないかと思う。

この時代を生き抜くためにはどうすればいいのだろうか。わたしたちひとりひとりがデマや都合のいい嘘に騙されないように気をつけていかなくてはならないのではないか。そんな話がテレビとかでなされているんだと思う。たぶん。家にテレビがないけど 1 月 2 日くらいにNHK教育テレビをつけていたらそんな話をしていたから。

しかし、少し考えてみて欲しい。果たして、「真実」を我々はそこまで尊んでいただろうか?

*1:そしてそのような “大衆” を見下す自意識過剰な人間のなす層がある、ということだ。

続きを読む

たとえば、君が僕を好きだったとして、だ。

小説

ロックグラスにすっぽりはまるように削られた氷が、少し溶けて音を鳴らした。注いでもらったばかりだが、もう半分以上飲んでいる。今日はペースが早いことから自分がイライラしていることを自覚する。

右隣のおばあさんがウイスキーを飲みながら、右の男性、つまり僕からみてふたつ右に隣の男性に絡んでいた。そのさらに右では、マスターが面倒な客に捕まっている様子だった。このバーに来るのは三回目な僕はまだ名乗ってもいないし顔をだれにも覚えられていない、と思う。覚えているかどうかは他の人間には判断ができない。覚えているフリも忘れているフリもできる。

一人になるために僕はよくバーに来る。一人暮らしだが、自分で住んでいて快適とは思えない。快適なひとりになれる空間で酒が飲める場所、僕が知る限りはバーしかなかった。

失礼します、と声をがして、水が入っていたグラスが視界の外に出た。バーテン見習いの若者が水のおかわりをくれるようだ。

タバコを持ってこればよかった、僕はバーにくるといつもそう思う。滅多に吸わないが、ストレス解消にたまに吸っていた。こんなときこそ、何も考えないで一服したい。バーでタバコを販売したら酒よりも売れるんじゃないか、と根拠のない暴論を展開し始める。

あぁ、また違うことを考えていた。

もう一度あの課題に戻らないといけないのだろうか。考えたくないことを考えないといけないからイライラしていて酒の進みが早いのかともう一度必要のない自覚をした。そう、この必要のない自覚を既にこの店に来てから 5 回はしている。

「何かもう一杯飲まれますか?」

いつの間にかロックを飲み干していたようで、水をくれた若者に声をかけられた。

「グレンリベットをロックで」

「かしこまりました」

若者はマスターへ耳打ちをしに行った。グレンリベットを頼んだ自分に気づき、自分は帰りたいのだろうかと自問する。

続きを読む

君が好きだった僕は死にました

コラム

表題のフレーズはこの記事を書く数年前に思いついたことだ。具体的に何年前かは言わないが、いつしか「誰かを好きで居る僕」が保てなくなっていて、「その人を好きではない僕」が形成されていった。その時に「あぁ、あのときの僕は死んだのか」と感じた。なので、「君が好きだった僕は死にました」というフレーズになった。

よく思い出せないが、あの自分が変わっていく感じ、変わりたくない自分、変えたい自分がせめぎあう感覚は二度と味わいたくない。あのときから僕は誰も好きになれなくなったのかもしれない。

続きを読む