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Diary over Finite Fields

515ひかるが書き溜めたメモとコラムと雑記

いつかは僕も本を読めなくなる

コラム 短い記事

年をとると集中力がなくなるという。本も映画も見えなくてワイドショーしか見えなくなるのだとTwitterで言っている人がいた。

私の親族に読書家と呼べそうな人はいない。僕は僕の家族の中ではかなり本を読むほうだが、それでも最近めっきり読まなくなった。父親は僕が生まれる前からワイドショーしか見ていなかった気がするが、よく思い出すと昔は今よりは新聞も映画も見ていた気がする。母親もたまに本屋に行って雑誌を読むくらいはしていた気がする。姉もいるが、正直わからない。だが昔よりはマンガの比重が大きいんじゃないかと思う。

学生の頃から、Twitterやらなんやらばかりしていて本を読んでいないとは思っていたが、あの頃はまだ体系的な文章や論理的な文章*1に触れる機会があった。著者が何年という時間をかけて紡ぎあげた本を、1ページが1週間かけても読めないという読書*2をしていたのであまりネックに思うことはなかった。

ところが、最近は二流(以下)の文章を流し読むという機会のほうが増えた。楽だが、それが自分の糧になっているのかと問われると疑問である。

*1:もっとキャッチーなフレーズを使うと、一流の文章である。

*2:という言葉が適切かは分からない。

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自主退学しました

雑談

どうもわたしです。

木曜日にもろもろの手続きを済ませ、自主退学することに相成りました。半年位前に休学を決めたときは結構悩んだのですが、今回退学するにあたりほとんど悩まなかったので、きっと半年前に僕の運命は決まっていたんだろうなと思います。

何度も言っていますが、僕は既に会社員として働いているので路頭に迷うようなことはありません。会社がつぶれたらその限りではないのですが、あまり真面目には考えないことにします。

これからもなんとなく記事を書いたり、備忘録を残したり、買ったものを記事にしたり、本を読んだ感想を書いたりしますので、よろしくお願いします。

ビートたけしが70歳なことに驚いた

読書

たまには読書の話でも。せっかく本を読んだのだし。

ビートたけしのコラムを読んでみた。

テレビじゃ言えない (小学館新書)

テレビじゃ言えない (小学館新書)

別に好きというわけではない。憎みきれないジイさんだとは思っているが。

ビートたけしと言えば日本ではアホなことをやってるコメディアンであり、同時に世界的にも有名な映画監督であったりする。昨年はフランスで賞をとったりもしていた。俳優としても様々な作品に出ており、攻殻機動隊の実写化にも出演されたそうだ。

別にそれ以上のことはこのジイさんについてよく知らない。生まれたときにはバカやったり監督やったりしていたから、テレビの中に居るのが当たり前な人間だった。

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女性は働きたかったのだろうか

コラム

この手の話をするときには毎回注意しているが、まず私は精神的にも身体的にも男性である。主語がでかい文章を書くが十分に自覚しておりなるべく配慮するのでご容赦いただきたい。私は往々にして読者の「あなた」を想定していないので安心していただきたい。

素朴に疑問に感じたのは、女性は働きたいのだろうか、そもそも人間は働きたいのだろうか、ということである。いまあらゆる形で女性を役員登用したり、女性が少ない分野については女性限定採用などを増やすことにより国連か何かのご機嫌を伺っている日本である。「女性の社会進出」などともいう。

先日、「社会人という言葉を使わないようにしている」という記事を書いた。社会(人)という言葉が大前提として「働いていること(人)」を指しているので、「社会進出」を促すために女性が働くことにシステムから価値をもたせ、価値観を根付かせようとしているのだろう。そのやり方の是非はともかく、目的と手段は合致しているように思う。

hikaru515.hatenablog.com

しかし、そもそも男性のように働くことが女性の目指すべきものだったのだろうか。果たして、「社会進出」というのは、本当に「女性による労働を促すこと」しか意図していないのだろうか。

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守らなければ守れない伝統には価値など感じない

コラム

守らなければ守れない伝統がある。伝統があること以外に強調できることがない伝統のことだ。例えば廃業寸前の職人技や伝統工芸品なんかはそのうちのひとつだろう。今は家にテレビはないのだけれど、テレビなんかでよく言うのが「後継ぎがいない」とか「歳でもう目が見えない」など様々な理由で廃業せざるを得なくなる職人。悲しいことだなどとインタビューで買い手が答える報道である。

率直に言えば、その程度の伝統だからだろうと思う。

建設的な話をするのであれば、「どうすれば後継ぎがいないこの状態を避けることができたのか」を議論するべきだ。あるいは、この伝統は消える運命にあることを決定づけたターニングポイントはなんだったのかを探してもいい。

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わかりやすさの押し付け

コラム

「わかりやすい」という表現がよくある。資料の日本語を添削して「このほうがわかりやすいだろう」などと表現する。そもそもわかりやすさなどというものはかなり主観的なもので、ある程度共通したわかりやすさやは存在するだろうが、前提知識などによりわかりやすさは人によって変化する。

と当たり前のことを書き出したが、わかりやすさの押し付けに最近遭遇するのでこの当たり前が思っているよりも当たり前ではないかもしれない、などと思い始めているのである。「わかりやすいプログラミング」、「わかりやすい統計学」、「わかりやすい高校数学」……このようなブログ記事は注目を集め、書籍は書店に並び、人の目をひく。

ただ、疑問なのは最初に書いたようにわかりやすいかどうかはそもそも読者が規定するものであるということだ。とすれば、「筆者にとってはわかりやすいプログラミング」とか、「出版社社員にとってもわかりやすい統計学」などの表題にするべきだろう。

類似の問題として、「わかる~~」(~~にはあらゆる名詞が入る)などという記事や書籍もある。たとえその記事がどんなに素晴らしいものであれ、文字を目で追って頭で考えることなくわかる内容であればそれはそもそも内容が浅い*1記事であることの表れでしかないし、わからなかったらタイトル詐欺でしかない。

*1:つまりその読者にとっては読む価値がない。

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社会人という言葉を使わないようにしている

コラム

わたしは昨年の12月に会社員になった。そのことが決まった時に言われた。

「これで社会人の仲間入りだね」

と。

社会人というのはどういう人だろうか。なんとなく「働いている人」という印象を受けるが、では働いていなければ社会に属していないのかと言われるとそうでもない。それに例えば主婦の人を社会人でないと思う人は少数であろうが、学生を社会人ではないと判断する人は多いだろう。以上のことを曖昧にまとめると、「一度働いた経験がある人間」を「社会人」というらしい。

「社会人という自覚をもって行動して欲しい」などというが、大抵の場合は約束は守るとか、できない約束はしないとか、遅刻しないとか、小学校で教わる、あるいは処世術として大人になるまでにある程度身につけておいたほうよいことを指して社会人としての自覚と言っているように思う。

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